好きな曲つらつらつら。(ハロプロ編)

自分の耳の良し悪しなんかは全くわからないけれど、その時その時であっこの曲!ってフックに引っかかるか引っかからないかはかなりはっきりしているタイプです。
部屋の中でなんとなくitunesをシャッフル再生とか、これ今じゃないと思ったら即飛ばすし、これ全然引っかからないと思ったらスキップ設定するし、ラジオで流れるわずか1分足らずにカットされた曲でもなんか違うと思ったらすぐザッピングしてしまう。

好きなアーティストでも、間口は多少広くなれどどうしても引っかかってこない曲は全然聞かないです。数ヵ月後たまたまテレビとかで見聞きしてはまるパターンもあるけど(笑)そういう時はなんでこの魅力に気づかんかったんやーとジタバタします。

今回は数ある音楽の中からハロプロ楽曲に絞って、ひたすら好きな曲について書いていこうと思います。つんくさん好き。世界と日常が急にギュン!って繋がってくる感じが好きです。トンチキと言われがちだけど。語感とリズムとむきだしの気持ちを大事にしているなあって思います。声に出してみたくなるよね。近年の楽曲はメッセージ性の強いものも多い。「人のせいにしない」とか「故郷を思う気持ち」とか。耳に痛いなあと思いつつ、年を経るごとにつんくさんのなかでそれだけ重要な想いになってきたのかなと想像してしまいます。お子さんとか病気のこととか、いろんなことに向き合って、そこから生まれる言葉なんだと思うと、素直に受け止められる。
メロディーやアレンジも、さすがリズムリズム16ビート!と口を酸っぱくして言うハロプロだけあって心地いい刻みかたです。私の好みに合ってます。

□愛の軍団(モーニング娘。)
初めて聴いたときは、とにかくイントロが好みで。印象的な最初のメロディーラインからの、一気に畳み掛けて音の雰囲気が変わるのが好きです。よくあの音色を選んでくださった!森の中といった感じのmv、赤黒のデザイン違いのセーラーを着たメンバーとマッチしていて好きです。曲の構成が好きで鬼リピしていたんですが「どこがサビかわからない」というようなネットの書き込みを見て、なるほど!この曲に感じていた気持ちそれ!と目からうろこだったことを覚えています。
声の加工やりすぎはあんまり好きじゃないけれど「ほんと?ほんと?」は、ほんと?って実際は言えない心の声みたいなニュアンスを感じて好きです。

□負ける気しない 今夜の勝負(モーニング娘。)
ジャズやヒップホップといったダンスをしていたこともあって、聞きながら音ハメを考えやすい曲はすごく好きなのですが、特にこの曲のイントロはそういう意味でアガります。どこにアクセント置こうとか妄想してしまう。曲全編にわたって「WOW OH OH」というコーラスで彩られていて、それがすんごく好きなんです!!!!「人のせいにできなーーーい」のところなんかは、無くてもまあ成立はしただろうけど、このコーラスによって、ノリもよくなってメッセージ性も強まっていいことずくめ。
【違う星に逃げたくなる事もあるさ だけど無理なんだなぁ】逃げるなとも逃げちゃえとも言わない。無理なんだと。刺さります。この曲の主人公はどんな気持ちなんだろう。逃げるなんて無理だしそもそもありえない、だって負ける気しないもの。という強気な女の子という可能性もありますが、どうしても、違う星に逃げたくて逃げたくてでも無理で、震える足で、負ける気なんかしないって強がっている女の子が浮かびます。

□すっちゃかめっちゃか~(Berryz工房)
リズム刻み大好き芸人としては、細かく刻んで詰め込んだ歌詞が大好物です。どうにかこうにか I can do、とかうまくすり抜ける彼はさすがで~とか。それに加えて、のたまひけるけるけるける、ときた!!!!!気持ちいい!!!!!声に出して言いたいつんく節。かっちょくすぎる~、も、かっちょくすぎなんて言葉はないんだけどこの曲聞いたあとだといやここにはかっちょくしかないなと謎の説得力すらはらみはじめる。「かっこよすぎる~」だと絶対ここまで盛り上がらない筈。かっちょく、kとcとkで刻むかんじ!!
恋はこんなに楽しいんだぞ~なハッピーソングは数あれど、君はこんなに愛されてんぞ~でさらっと相手の存在肯定してて幸せが二倍どころか二乗にも三乗にもなって、本当涙が出そうになります。

□Rockエロティック(Berryz工房)
かの有名な宝塚状態なmvももちろん好きなんですけど曲も大好き。まずRockエロティックてなんやと最初タイトル聞いたときは思ったんですけど、薔薇が似合ってキスが似合って赤色よりもっとすごいのがロックでエロティックなんだと言われたら「……確かに!!!」と首肯してしまいますね。
この曲は歌割の妙を感じられて好きです好きです好きです。ベリは確かにりしゃみや+くまいちょーももの4TOPに歌割集まりがちですが、七人七様の歌声でかつお互いの良さをひきたてあうよな~と感心します。(ベリヲタです)この曲は最後の最後にセンターに現れるももがハイトーンで美味しいところぶっちぎっていくすがすがしさが好きで好きでそれを聴くために最後まで聴いちゃう時もあります、が、一番好きなのはBメロです!
「寂しいよ」とか【熊井】わざわざ言わないで【清水】どうどうとしていればいい【嗣永】地球には【徳永】幾千もの【須藤】嘘がある【夏焼】見破れないことも計算済みよ【菅谷】
誰が配置したかわからんけれど超絶GJGJGJです。個人的にはしみさきちゃんのパートを推す。さきちゃんて超絶重たい女も、彼氏を「重いんだけど」ってバッサリ斬る女も似合う……不思議……。

恋の呪縛Berryz工房)
ハロプロ苦手っていう人のなかでたまに聞くのがいわゆるつんく歌唱がムリだって話。リズムや子音を立てまくる歌い方、わたしはノレるので好きです。特に初期ベリキューはかなり忠実につんく歌唱しているイメージ。恋の呪縛もまだまだその色が強いけど、声はコドモコドモしてます。それが大人ぶってるというか、コドモなのに恋愛に関してはしっかりオンナなんですという主張にも聴こえてくる。歌詞も、小中学生が歌ってるマセてる~ってなっていたのかもしれないけれど、平成生まれのわたしの周囲では小学校から現在に至るまでこんな話ばっかりだなあと思う。子供がませてるっていうより三つ子の魂百までってやつで、人間なかなか成長しないもんだななんて思ってしまうー。
話がずれた。この曲はとにかくサビのメロが好き。イントロにも使われている。カラオケとかで歌うと意外と歌いこなせない感じ。こういう高低差のあるメロとても好き。

□彼女になりたいっ!(ハロプロ研修生)
今をときめくJ=Jやこぶし、つばきの面々が研修生だった頃のアルバム。つんくノリノリやんと思った一枚。特にこの曲はBPMの早さと若さと勢いでミラクルな世界観を突っ切ったなー!と。「アタリキ」と「いちごのベッド」と「助手席ゲットだぞい!」が同居する世界。不思議かよ。これ既存ユニットシングルならおう……強い……ってなるかもしれないけど、明日はデビューか研修終了かの研修生が歌うから、キラキラしているのに切ないというか、儚さすら感じるなあと。同じ、つんくさんプロデュースのユニットなのに、こうしてどこのグループが歌うかによっていろんな色が出るからハロプロっておもしろい。

ひとまずここまで。

グループに登録しました。

20代、大学生、一人暮らし、一年前から不眠症で精神状態がどんどん怪しくなり、年始にやっとの思いで精神科に行って、うつ病と診断されました。

 

うつ病と診断されて、「ああ病気だったんだ、わたしは」と

なぜかほっとしたような気持ちになったのも束の間、

離れて暮らす家族にカミングアウトする決心がつかず、

先日ようやく母と兄弟には知らせることができました。

父や、周囲のみんなには、とても言えなくて、

ただただ今までどおりの「明るい私」でいるために

精神をすり減らすことをやめられない毎日。

 

ひとりでいると、いつ死んでもいいって思えてしまうので

その気持ちをコントロールするのに一苦労です。

 

生きる意味は、見いだせないけれど、

本を読むことと舞台に立つこと、舞台をつくることが好き。

舞台はもう10年以上しています。

自分ではない誰かになれるから演技は好きです。

まあ、人前では常に「理想の自分」を演じているんですけど。

 

ずっと、自分のこと明るいと思ってたし、

記憶の中のわたしはずっと笑っていたし、

それに苦はなかったはずなんだけど、

どこかで歪んでしまって、わたしはいつのまにか

無理して「わたし」をやるようになっていました。

 

死んじゃダメ、ってみんな言うんです。

なんでだろう。

本当にわからないって最近思います。

 

わたしのこと殺したいくらい嫌いな人に、

あっもうすぐいなくなるから大丈夫だよ、

って言ってあげたいって思う。

 

家族とか、申し訳ないって少しぐらいは思うけど、

でも結局家族にも、ほんとうの私なんか見せられっこない。

 

わたしはひとりで立ち止まったままここで終りを迎えそうなんです。

誰かに言いたくて言いたくて言いたくて言いたくて

誰かの胸で泣きたくて泣きたくて泣きたくて仕方ないけど

わたしの思いで誰かが余計な感情を抱くのがもっと嫌。

わたしの気持ちを知ってほしいのと隠し通したいので

私の心はもうずっとぐちゃぐちゃです。

 

いつ死んでも悔いのない人生を、っていうけれど

わたしにはいま希望がないから、

人生いつ終わったって関係ないって思ってる。

 

あーあ。

どうして明るいキャラだったんだろう、

そんな自分どこかに消えちゃったよ。バカみたい

 

この世からはやくいなくなりたい。

わたしのアンテナ

自分の興味あることには、どっぷり

そうではないことには、さっぱり

 

それがわたしの生き方だった、ずっと。

 

アンテナを張るということがいかに難しいかということだ。

なにかに触れ続けないと、発想なんて詰まってしまう。

振付をつくるときに、特にそう思う。

自分の出来る振りしかつけられないから。

パターンが減った自分を恐ろしく思う。レッスンしなくちゃ。

 

今日は演目の1幕を久しぶりに通してみた。

勢いがあって、やっぱり面白いなあと思う。

一時間を一時間と思わないというか。

でもそれは、ホンの力以上に、役者の力。

そして役者を知って愛してくれる観客の力。

わたしたちにはないもの。どちらも。

 

さんざんあの作品を見てしまった。

わたしはこびりついたイメージにとらわれている。

こんなんじゃだめだ。だめだ。

だれもが思いつきもしなかったようなことをやりたい。

こんな保守的で、引っ込み思案な私だけれど、

わたしの頭のなかでわたしがとても自由であることを証明したいんだ。

 

誰かのため。

という言葉を最近たくさん使う。

そう、みんな結局誰かのためじゃないと生きていけないって思う。

 

わたしは?

いつも、一緒に創作するメンバーとお客様を想ってやってきたつもりだ。

その人たちに喜ばれることによって、はじめて私自身は生まれる。

私自身は、どこにもいない。

みんなの中にいるんだって、そう思う。

 

エンターテインメントわたしがいる場所だって信じてる。

それが違ったら、また探せばいいんだもんね。

 

人一倍絶望したわたしは、まだ立ち上がれるって信じてる。

わたしが立てないときは、神様がそうじゃないって言っているだけだって思うようにならなくちゃ。

わたしを生かしてくれたエンタメの神様、ありがとう。

 

子どもたちから悲しみを奪い去るということ。

まさにわたしがエンタメにしてもらったこと。

運命なのかもしれない。

運命だって思える。

 

少しずつ、明日は近づいている。

稽古場に居たい。

稽古場じゃなくてもいい。

考えることって楽しい。

こうして何かを書く事も。

 

直感、直感、すべては直感だ。

わたしの第六感がひりついて、何かを呼ぶときがある。

友達も彼氏もいっぱいいればいいってもんじゃない。

わたしは最後に自分のひりつく第六感を信じる。

 

今日が過ぎていく。

今日はピンク色のスニーカーが「わたしを買って」って叫んでた。

買ってみた。(笑)

赤が欲しかったはずなのにな~~

でも、黒髪ショートになって男の子みたいになったわたしには妙にしっくり馴染んで見えた。ずっと履いてきたみたいにサイズもぴったりで。

モノも、人も、そうやって信じたものが正解になるんだもんね。

 

部屋も掃除して、きれいになった。たまの掃除は、気持ちがすごく穏やかになる。

今日も生きた。生きられた。

まだ生きてる。死なずにいようって思える。

生きることだけは、誰かのため、ってだけじゃできないんだなあって病気になってからすごく実感している。

自分が生きたいと思わないと何もできない。

 

今日はここまで!

wi-fi買ってから、いろんなことが捗る!神様ありがとう!

 

神様って曖昧でフシギなものだけど、八百万もいたらひとりくらいわたしのこと見ててくれるかもね。

ビョウキ

私は心の病気です。

 

そう言えるようになって、1ヶ月程が経つ。

自分にこうして言い訳できることをよく思わない人だって世の中にはたくさんいるけれど、この言い訳に自分がどれほど救われたか。

 

やりたくないことを後回しにする癖。

もうずっとそうだけど、それを理性的に止めてくれる自分も、今まではちゃんとどこかにいたはずだった。

いまは?

もうどこにもいない。

 

舞台のことを考える。

なにかを生み出すということを考える。

 

小さな時から、私の世界は私の空想だけで埋め尽くされていた。

私だけの世界が私をあらゆる痛みから守って救ってくれた。

空想の中のわたしはいつだって可愛らしくて、キラキラして、幸せだった。

夢の世界を自由に駆け回るわたしは、わたしであってわたしではないなにかだった。

わたしがわたしではない何かを演じることが好きになるのは当然だったのかもしれない。

だってわたしはずっとほんとうの私を受け入れないままここまで歩いてきてしまったのだから。

 

夢にとりつかれた病気なのかもしれない。

 

スポットライトを浴びることは好きだ。

けれどそれよりも、その世界を神の視点から見ていたいの。

お人形遊びをしていたころからずっとそう。

私自身が誰かになるってことはなかった。

いつも、お人形とお人形の関係性を作って楽しんでいた。

自分が世界の一部であるっていう意識が、希薄なのかな。

 

空想がわたしをある意味だめにしたのかもしれない、でもここまで連れてきてくれたのも空想だってわたしは信じている。

空想があるとき突然理想になり、目標になり、ある日突然現実にカチッとはまることがあったんだもの。

 

わたしは、自分のアタマは信じてないけど、直感は信じてる。

わたしが自分の空想に歓迎してもいいって思えたことは、たいてい良いことなの。

 

考えすぎない。

 

わたしのぶっ壊れた心はいまはもう何の役にも立たない。

空想にふけりすぎて周りをなんにも見ていなかったから、昔の記憶もびっくりするくらいない。

だからわたしには直感しかないんだ。

 

今なんだって誰かがきっと教えてくれる。

そう思う。

 

まとまらない。

 

最近演目のDVDを見るたび、自分を交えて創っていく作業というものが、益々見えなくなる。

ミュージカルは好き。

でも自分はほんとに登場人物なの?

 

あの頃みたいに、神の視点にいたいと思う気持ちは、ホンモノ。

卒業

今日、先輩方が卒業した。

卒業式後の飲み会には行かなかった。

行けたし行きたい気持ちは強かったけれど行かなかった。

先輩方に最後に会った追い出しコンパは、動画作成に明け暮れてほぼ寝ずにいき、ろくにごはんも食べず会話もせずに別れた。

もっと話せばよかった。

ほかの同期や後輩みたいにメッセージカード書くとか、気の利いたこともしていないし。

でも、3年生からの出し物で、げらげら笑う四年生の姿と声がすごく嬉しくて、それが焼き付いたまま別れることができたから、それを四年生の学生最後の姿として心に刻むのも悪くないかなあと思った。すごく自分勝手かもしれないけど。

 

そして、どうしても、「卒業」というワードを聞くと、自分のことととても切り離して考えることができない。

もう1年後なんだと思うと、なんだか怖い。

私は先輩方みたいに、祝福されて、飛び立つことができるんだろうか。

 

自分を見失ってから、もう1年ぐらい経つのかな。

3年生の頭ぐらいから、もうずっと自分のことがわからない。

眠れなくなって、薬が手放せなくなって、ますます出不精になって、連絡不精になって、好きなものがなんだったのかもよくわからなくなってしまった。

サークルだって例外じゃない。好かれているか、評価されているか、そればかりが気になって、まっすぐにダメ出ししていた頃の自分を思うと歯がゆくてたまらない現実。

最後の最後にこんなんなってしまった私を、先輩方はよく見つめて引っ張ってくださって、かっこよくてずるいなあと思う。本当にありがとうございました。

ご卒業、おめでとうございます。

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最後にいつも勝つのは 笑顔で元気で幸せな人

もっと let's go 自分信じて 夢見る力を捨てたりせず

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