ビョウキ

私は心の病気です。

 

そう言えるようになって、1ヶ月程が経つ。

自分にこうして言い訳できることをよく思わない人だって世の中にはたくさんいるけれど、この言い訳に自分がどれほど救われたか。

 

やりたくないことを後回しにする癖。

もうずっとそうだけど、それを理性的に止めてくれる自分も、今まではちゃんとどこかにいたはずだった。

いまは?

もうどこにもいない。

 

舞台のことを考える。

なにかを生み出すということを考える。

 

小さな時から、私の世界は私の空想だけで埋め尽くされていた。

私だけの世界が私をあらゆる痛みから守って救ってくれた。

空想の中のわたしはいつだって可愛らしくて、キラキラして、幸せだった。

夢の世界を自由に駆け回るわたしは、わたしであってわたしではないなにかだった。

わたしがわたしではない何かを演じることが好きになるのは当然だったのかもしれない。

だってわたしはずっとほんとうの私を受け入れないままここまで歩いてきてしまったのだから。

 

夢にとりつかれた病気なのかもしれない。

 

スポットライトを浴びることは好きだ。

けれどそれよりも、その世界を神の視点から見ていたいの。

お人形遊びをしていたころからずっとそう。

私自身が誰かになるってことはなかった。

いつも、お人形とお人形の関係性を作って楽しんでいた。

自分が世界の一部であるっていう意識が、希薄なのかな。

 

空想がわたしをある意味だめにしたのかもしれない、でもここまで連れてきてくれたのも空想だってわたしは信じている。

空想があるとき突然理想になり、目標になり、ある日突然現実にカチッとはまることがあったんだもの。

 

わたしは、自分のアタマは信じてないけど、直感は信じてる。

わたしが自分の空想に歓迎してもいいって思えたことは、たいてい良いことなの。

 

考えすぎない。

 

わたしのぶっ壊れた心はいまはもう何の役にも立たない。

空想にふけりすぎて周りをなんにも見ていなかったから、昔の記憶もびっくりするくらいない。

だからわたしには直感しかないんだ。

 

今なんだって誰かがきっと教えてくれる。

そう思う。

 

まとまらない。

 

最近演目のDVDを見るたび、自分を交えて創っていく作業というものが、益々見えなくなる。

ミュージカルは好き。

でも自分はほんとに登場人物なの?

 

あの頃みたいに、神の視点にいたいと思う気持ちは、ホンモノ。